日本の象徴として、私たちに馴染み深い「日の丸」。その歴史の始まりに、薩摩藩が深く関わっていたことをご存じでしょうか。
幕末の激動期、薩摩藩主の島津斉彬が、日本の船の印として「日の丸」が採用される上で、重要な役割を果たしました。
薩摩の地から生まれた「日の丸」の物語は、日本の近代化への道のりと密接に結びついています。
この記事では、その知られざる経緯を紐解いてまいります。
幕末の英傑、島津斉彬
江戸時代後期、薩摩藩第11代藩主を務めた島津斉彬は、類まれな才覚を持つ大名でした。彼の曾祖父である第8代藩主・重豪の影響を受け、幼い頃から西洋の学問や技術に強い関心を持っていました。
藩主就任前には、家督相続を巡る「お由羅騒動」という困難を乗り越えています。嘉永4年(1851年)に藩主となると、彼はすぐに藩の富国強兵策に着手しました。
斉彬は、洋式造船や反射炉、溶鉱炉の建設、地雷や水雷、ガラス、ガス灯の製造など、幅広い分野で西洋技術の導入を進めました。これらの事業は「集成館事業」と呼ばれ、日本の近代産業の礎を築く画期的な取り組みでした。
彼はまた、人材育成にも力を注ぎ、後の明治維新で活躍する西郷隆盛や大久保利通といった若者たちを登用しました。斉彬の先見の明と行動力は、多くの人々から高く評価されています。
開国と「日の丸」の必要性
斉彬が藩主となった嘉永年間は、外国船が日本近海に頻繁に現れるようになった時代です。彼は、黒船来航以前から、日本の防衛のために洋式軍艦が必要だと考えていました。
嘉永5年(1853年)には、幕府に対し、薩摩藩の庇護下にあった琉球王国の防衛を名目に、洋式軍艦の建造を願い出ています。この申請は、当時の「大船建造の禁」という幕府の規制に反するものでした。
しかし、嘉永6年(1853年)にペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊が来航(黒船来航)すると、幕府は外国船への対応を迫られます。同年9月には、ついに大船建造の禁を解除し、各藩に洋式軍艦の建造を許可しました。
嘉永7年(1854年)に日米和親条約が締結され、日本は開国へと舵を切ります。これにより、外国船と日本の船を区別するための、日本国共通の船舶旗を定めることが喫緊の課題となりました。
薩摩藩の進言と「日の丸」の布告
日本の船印を定めるにあたり、幕府の役人たちの間では様々な案が検討されていました。その中で、薩摩藩主の島津斉彬と、幕府の海防参与であった水戸藩主・徳川斉昭が、「日の丸」の幟を日本の船印として強く推しました。
彼らの進言は、当時の老中であった阿部正弘に受け入れられました。そして、嘉永7年(1854年)7月9日(新暦8月2日)、幕府は「日の丸」を日本全体の船印とする旨を全国に布告しました。
この決定により、「日の丸」は、日本の船が外国の海を航行する際の、共通の目印となったのです。薩摩藩の働きかけが、日本の象徴の一つである「日の丸」の歴史を動かした瞬間でした。
昇平丸、歴史を刻む航海
幕府から洋式軍艦の建造許可を得た薩摩藩は、嘉永6年(1853年)5月に桜島瀬戸村の造船所で「琉大砲船」、後の「昇平丸」の建造に着手しました。琉球王国には、中国への朝貢船を建造する外洋船技術があったため、琉球の官吏も建造に携わりました。
昇平丸は、安政元年(1855年)に竣工し、鳳凰丸に次いで日本で2番目の洋式軍艦となりました。そして、安政2年(1855年)2月、昇平丸は幕府へ献上されるため、鹿児島から江戸へと向かうことになります。
この歴史的な航海の際、昇平丸の船尾には、前年に定められたばかりの「日の丸」が堂々と掲げられました。これは、日本の船として「日の丸」を掲揚した最初の例とされています。
江戸に到着した昇平丸は、将軍徳川家定も浜御殿から遠望し、その性能を確認しました。その後、昇平丸は幕府の練習船として、日本の海軍技術の発展に大きく貢献しました。明治時代に入ってからも輸送船として利用されましたが、明治3年(1870年)に北海道沖で座礁し、その役目を終えました。
薩摩が育んだ近代日本の息吹
「日の丸」が日本の船印として採用された経緯には、島津斉彬の国際情勢を見据えた洞察力と、薩摩藩の技術力、そして日本の未来を憂う熱い思いがありました。彼の富国強兵策や洋式技術導入への情熱は、薩摩藩のみならず、日本の近代化を大きく推し進める原動力となりました。
薩摩藩は、琉球王国との独自の貿易や、武士階級の若者が地域ごとに武術や学問を磨いた「郷中教育」など、他の藩にはない特色を持っていました。これらの背景が、斉彬のような革新的な藩主を生み出し、幕末の動乱期において重要な役割を果たすことにつながったのかもしれません。
鹿児島市内には、斉彬の功績を今に伝える尚古集成館や、彼が愛した仙巌園があります。尚古集成館では、集成館事業で生み出された数々の品々を見ることができ、仙巌園からは、かつて昇平丸が建造された桜島を望むことができます。
これらの場所を訪れると、幕末の志士たちが日本の未来を真剣に考え、行動した熱い思いを肌で感じられるでしょう。「日の丸」のルーツをたどる旅は、鹿児島の地から始まります。ぜひ、歴史の息吹を感じに、鹿児島へお越しください。

